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+最新ニュース : 2015年1月17日。被災20年の感慨。(北野正一)
投稿者: admin 投稿日時: 2015-1-20 17:31:16

 被災の集中した大都市・神戸の長田地区の人間と地域の復興のためには、衣食住に代わって、新「医、職、住」が必要だと定式化された。私(北野)と関わりのある職とは地域産業論の分野であり、経営学者や経済地理学者が扱ってきた。当地と2年半、関わった私は、専門の論文を書けるのかと何度か、同僚から忠告を受けた。当時、経済政策分野を研究し実践しようとした私が採り上げた視点は、ケミカルシューズ(CS)産業という地域集積型産業と地域行政との連携について、即、自治体の産業政策のありよう如何、というものだった。地域集積型とは、日本に500あると言われる地場産業のことであり、現在もなお、地域創造の一翼を担うはずである。

 震災直後、神戸市は新長田等の再開発・区画整理の事業計画を一方的に決定し、建築制限をかけた。ところが、長田地区はCS産業の集積地であり、駅前にはその卸業が集中立地していた。この都市計画決定は、この卸機能を一掃し、集積から遠く離れた西神工業団地へ誘導するものだった。被災直後に、地元と学者との共同で「長田のよさを生かしたまちづくり懇談会」を組織して、CS産業は「地域集積」をメリットとした地元の基幹産業だ、戦後、履き倒れのまちと言われた神戸の生みの親だ、この都市計画決定はこの集積を破壊するものであると批判し、「住工商を有機的に複合させた杜の下町・長田構想」を作り、神戸市に提案した。その後、この理論化に努めた。

 その結論は次の通りである。
 CS産業の事業者が、個々の製品づくり、あるいは卸・販売面では競争しながら、それが依って立つ共通の空間である街づくりでは協調する、こうした競争と協調との使分けをできるようになること、これを獲得目的とする。だが、これは言い得て実行難の典型例だった。
 まず、その例をあげよう。
 まちが壊滅すると、まち再建という共通利益が発生すると同時に、操業停止に追い込まれた9割の層の傍らに、操業不能を免れて、製品価格高と注文増という「千載一遇」のチャンスが出現して昼夜突貫操業をした層、韓国など海外からの輸入に切り替えた層に分岐が生じ、この間に利害対立が生じた。操業層にとっては、共同の利益である街再建は他社に任せ、自分は経営に専念するのが最有利だ。海外切替層にとっては産地崩壊が有利になる。
 当産業では、従来、メーカーの間で、デザイン・意匠の盗みあい・模倣競争は熾烈であり、事業者は寝言も言えないと噂された。500社余りのメーカーは、販売機能を中心に業界団体が三つ、独立系に分かれていた。
 メーカーとその下にいる各種各様の膨大な部品、関連業者との間でも、これは一般的なのだが、競争と協調の調整問題があった。ところが、当地区は自然発生的にこれをずいぶんうまく調整しており、私はこれが当地区の強さの源泉であると知り、市の産業政策に立て付いたのであった。
 これまた一般的な事情だが、卸業者とメーカーとの間にもこの調整問題があり、当地では感情対立にまで達していた。事業者の中でまちづくりに関わってきたのは、業界役員などを務めた業界通の高齢事業者であり、息子世代が実業に当たっていた。

 当地区に支店を構える信用金庫の支店長は言う。
 この地区の業者は「お行儀」が悪く、お陰で利子が高い、それだけに事業者の調査をしっかりして信用を担保すると凄く儲かる、ここはドル箱だ、何とかまちを再生してほしい。地域型銀行が地域産業再生の柱になる、と分かった。
 長田のまちづくり活動の中で、被災1か月で営業再開に漕ぎつけた市場に出くわした。一般に市場商店街の店主は一国一城の主で、店主間ですざましい競争をするので有名だ。だがここは違った。市場の全店主の間で、早期再建で協力する、再開した店舗では対等競争をする、客の流れをそうなるように店舗を配置する、この合意ができたのである。こんな見事な競争と協調との組み合わせを合意できるためには、被災以前から、店舗間に信頼が存在せねばならない。当市場の場合、立地点は刈藻川の河川敷で、神戸市からの借地であり、市は、従前から立ち退きを迫っており、被災を機に市が強行するのではという共通の危機感がばねになった。

 被災3日目、CS工業組合に静岡県の靴産業の担当者が調査に来た。静岡は東海大震災の脅威に直面しているのである。神戸市の産業政策担当部署は、圧倒的な開発関係部署に比べて無いに等しく、全神戸で数人だった。市は工業組合の依頼で靴のまち長田再建検討委員会を作り、構想案を出したが、その時点では事業計画に沿って事業が開始したずっと後であり、後の祭りだった。その構想も、サードイタリアの靴産地を模倣した漫画、書いたのは市が丸投げ委託した中央コンサル。この事情は、東日本大震災でも全く同じだ。

 競争と協調との有機的な統合という課題は、被災20年の神戸の地で、さらに高まっている。現在、新長田駅周辺では人口減、空き店舗の大量発生等、再開発事業が失敗し、この修復運動が起きている。この最大因はCSの産業集積を蹴散らかしたことにあり、元の住民が大幅に減り、新住民は少なく、新住民は新長田で買回り品を買わず、日用品は参入コンビニ等で買う、従って、地域が衰退している。打開策はCS産業の集積を復活させ、住工商が有機的に複合した杜の下町を再建することだ、被災6か月で地域住民と学者との協調で作成市、市に提案済みであった。

 震災を機に形成された民間の研究団体・兵庫県震災復興研究センターの20年検証の本は、「被災地新長田は復興したか」とテーマを設定した。この検証本に執筆を断念した私(北野)の反省としては、これを次の趣旨に変えるべきだった。
 なぜ神戸の地域集積型産業が、産業政策と地域事業者間の協調がよろしきを得れば、スクラップ産業ではなく発展産業だ、そのポテンシャルを持つ、と言えるのか、にも関わらずなぜ神戸市政等が地域集積を破壊したのか、被災後、地元事業者等が集積やまちの再建のためにどんな努力をしたのか、今後どうすべきか。だが、私にはこれを書けず、執筆を断念した。

 なお、当時、有能を誇る計画行政・神戸市は膨大な復興計画書を作成していた。神戸市は復興計画の100人委員会を作り、各界から委員を結集した。また、被災半年時点で市民から復興意見を公募した。だが、この意見は「有識者」と行政との協議の場において参考資料とするだけだった。これを公開し、市民的議論を踏まえた市民参加型の決定とはしなかった。この点も震災復興の反省点だ。

 復興計画作成時、神戸市曰く。
 CSはスクラップ産業だ、長田はスラム街だ、枯れ木に水やりだ、「幸か不幸か」、長田は壊滅した、「神戸の西の副都心」として近代都市に復興する。高度成長期は大昔となり、バブルも初めて失われた25年の局面転換を起こしているにも拘らず、明治来の骨がらみの近代化への開発路線を強行したのである。

 「開発で稼いで福祉に回す」を看板に商売上手の革新神戸市政が被災して、「幸か不幸か」と勇んだのは、長田を神戸の西の副都心とする、これ以上の大きな構想済みの市の復興像があったからだ。すなわち、神戸の「中央区」の人工島群の沖合に神戸空港を市営で建設するのだ、膨大な遊休地は、結局、医療産業都市を作るのだ、これで雇用を作り、財政を再建し、福祉へつなげるのだ。

 すなわち、山、海へ行く、開発で稼いで福祉に回す神戸の都市経営である。被災して財政難、金欠だから、まず空港と医療産業をつくって稼ぐのだ、被災者救済、福祉はそれまで待て、と言ったのだ。宮崎市政は70年代に空港反対で保守から革新自治体に転じ、80年代には自民党の福祉財政赤字垂れ流し攻撃に反撃して唯一、革新神戸市政の旗を掲げた、都市経営はその秘策と謳った。


 震災は市民とともに神戸市政をも揺さぶり、市民は住民に冷たい開発エリートによる官僚組織と評価を一変させ、反開発市政の統一候補擁立に成功した。神戸市はそれまでの中央から自立した市民主体都市の旗を投げ捨てて中央直結、その補助を頼むに転じた。震災来4度目の2009年の神戸市長選挙において、市民・住民側はそれまで築いてきた統一候補の擁立に失敗し、開発市政は辛うじて生き残った。現在、アベノミクスに支援されて三宮の大開発に乗り出している。2014年を沸かせた理化学研究所の小保方STAP問題、250余の事業所・施設を集積させ、その中に聳える笠井ビル、ポートアイランドがこの舞台となった。
 現在、地場産業の再生とまちづくりか、国や業界支援を受けた医療産業都市づくりか、地方自治体レベルでこの選択的評価が必要とされている。

 今まで強調してきた「競協統合」、また「個共統合」とは、実は、日本経済の変革された像なのだ。つまり市場の構造改革であり、この延長上に「社会主義」があろう。さらにまた、これは、そもそも社会を改革すること一般にとって要請される個人と社会の思考・行為の態度でもある。
 たとえば、東北の復興にも、派遣の労働組合結成にも、組織労働者の大幅賃上げにも、また私事ながら極重要な、退職後日常化した近所づきあい、自治会での活動、気功サークルにおいても・・。

 私の発想は、すべて、この形成を志向するようになった。カールマルクスはヒトの全面発達を謳い、アマルチアセンは個々人の基礎的能力の涵養の平等を謳えている。私は、「和して同ぜず」、「自立と連帯の姿勢を身につける」という意味での発達を強調したい。正確に言うと、「個別的な自己利益の追求と、共同利益を実現するための協調とを、多様な状況に応じて有効に使い分ける姿勢を保つこと」です。「これを理解し、実行し、学習し、その能力をつけ、これを自己の信条にまで高め、日常行為のあらゆる分野でかく振る舞えること」と言える。

 ベートーベン曰く。
 あらゆる不幸は、だが、何かしら良いものを齎してくれる。震災は私のライフスタイルを齎してくれた。宮本武蔵的ながら、「個共統合」をめざす鍛錬と啓発の愉快な旅、となった。

 孔子曰く。
 君子(実は天下)に三楽あり、仰いで天に恥じず、伏して地に恥じざるはこれ一楽なり、親兄弟、朋友皆元気なるはこれ二楽、天下の秀才を集め陶冶できるはこれ三楽なり。震災体験を機に、孔子の三楽を信条とできるようになった。

(きたの まさかず、兵庫県立大学名誉教授、経済政策論)

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